※上記の動画は数年前のキブツ(kibbutz)

何とか無事にテルアビブ空港に到着したものの、財布には小銭しかなく、イスラエルの貨幣に両替できなかった。行き先のキブツはおよそ100km北の方である。

ヒッチハイクを試みたが、兵隊を乗せたジープばかりで乗用車はほとんど走っていない。
砂漠気候の炎天下で待つこと2時間。やっと一台の乗用車が止まってくれた。

キブツに着いたとき、辺りはすでに暗くなりかけていた。空腹とのどの渇きで死ぬ思いであった。

私のキブツは、世界中からの60名の若者のボランティアを入れて230数名の中規模の集団農場であった。創立メンバーの大半はヨーロッパ系の知識階級ユダヤ人で、初めて会う日本人にとても強い関心を示した。

はじめの2週間、毎晩どこかの家庭にゲストとして招かれた。昼間は6時間労働のあと子供たちに柔道と空手の手ほどきをして、子供たちとも仲良くなった。20数カ国から集まったボランティア達ともウマが合った。日本で夢にまで見た、国際コミュニティの中で自分ひとりの力で生きている、といった実感に感慨深いものがあった。

自分の英語力にもだいぶ自信が出てきた。
ここが自分の第二の故郷のような気もしてきた。

知識と英語力

違う点が一つあるとすれば、暗くなると、自動小銃で武装したキブツのメンバーが4~5人で夜通し警護をすることであった。レバノンとの国境までわずか10数キロ。しかも過去に2度ほどテロの襲撃をうけていたのである。

キブツでの滞在も2週間を過ぎると、メンバーたちは私をゲスト扱いしなくなった。

tranquility_2998524禅の思想や日本が経済発展を遂げた理由、伝統文化に関する質問を遠慮なくぶつけてきた。今度は英語どころではなくなった。自分の国のことについて全く無知であることに気づかされた。

知識があったとしても、自分の英語力では太刀打ちできなかった。

自信が崩壊していくのがわかった。

そして、さらに追い討ちをかける事件がおきた、、、

イスラエルVSエジプトの全面戦争

ある日の夕方、オランダ人のヨンが部屋へ飛んできた。stop-the-war-1098167-m

2~3日以内にエジプト軍が攻撃をかけてくるというのだ。
私の働いていたキブツは地中海に面した軍港ハイファのすぐ近くにあった。

もしエジプト軍が攻めてくるとすれば、ハイファやその周辺がターゲットになるはずだ。5時からラジオでBBCのニュースが報道されるという。

ドイツ、オランダ、カナダ、アメリカ、イギリス、アルゼンチンの友人たちが私の泊まっている部屋に集まってきた。ニュースが始まった。BBCは、全面戦争の可能性についていろんな角度からニュースを流し続けた。

だが、私には半分も理解できなかった。泣きたかった。
英語がわからないのだ。しかもこんなに大事なときに、、、。

友人たちはキブツに残るべきか出国すべきかを検討している。
私はその中に入っていけなかった。私だけ完全にのけ者であった。

国際化社会でサバイバルするには、高度の英語力が不可欠であることを痛感した。
特に緊急時には言葉ができないと死活問題になるのだ。

それまでは一人で放浪していても、必要とする情報レベルが低かった。
だから適当な英語力でも何とかなった。

しかし国家間の紛争やテロ、自然災害、事故、病気などの際には高度なレベルの情報が必要だし、その情報を収集し、伝達しなければならない。日常英会話力だけでは生き残れないのだ。

英語武者修行からの生還

結局、イスラエルを出国することに決めた。
目標がはっきりと見えてきたからである。

そのためにはそれ以上外国を放浪するよりも、日本で勉強すべきだと判断したのだ。

当面の目標はプロークンな英語を直し、時事英語をマスターし、知識を増やし、外国人と英語で自由自在に議論できるようになる。つまり、「国際社会で通用する真の意味でのバイリンガル」を目指すのである。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA日本にいる親父に、10万円の緊急援助を要請する電報を打った。10日後、イスラエルから船でギリシャへ渡った。アテネとウィーンでそれぞれ1ヶ月暮らし、再びシベリア鉄道で帰国の途についた。

途中モスクワで自動小銃を突きつけられて危うくシベリア送りになるという事件もあったが、無事に横浜に着いた。再び一文無し状態で、3日間かけてヒッチハイクで田舎の徳之島に帰った。