m横浜からソ連のナホトカ行きの船に乗った瞬間、日本という狭い社会から世界へと飛び出したのだった。クソ真面目で気が小さく、赤面症でしかも日本語さえもろくに喋れない自分を変えようと一大決心をした。

もう過去の自分を知っているものは誰も居ない。

外国映画で観た主役に自分のイメージをダブらせて演じることにした。人間、開き直ったら強くなるものである。何しろ七万円しかない。行くあてもない旅…己だけが頼りだ。

大学へ行った連中に負けないためにも、三ヵ国語をマスターするまでは死んでも帰るものかと自分に言い聞かせ、まずは船で外国人をつかまえて会話を試みた。

最初はオーストラリア人の中年カップル。なまりが強くて半分も理解できなかったが、どこかに同じ船の仲間意識があって楽しく話せた。ナホトカモスクワまでの10日間のシベリア鉄道の旅でも積極的に行動した。女性のロシア人車掌を相手に、英語とロシア語のチャンポンでの会話も楽しかった。

異文化で育った日本人とは全く異なる人種、しかも共産国の人とのコミュニケーションは、イデオロギーや言葉を越えた人類共通の何かを感じさせてくれた。

いざ、ヒッチハイクの旅へ!

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ヒッチハイクの旅はフィンランドで始まった。20kgのリュックサックに全財産を背負って移動する。フィンランドやベルギー、スペインの田舎では英語が全く通じなかった。乗せてくれた運転手とは手振り身振りでのコミュニケーションである。ことばを使わないコミュニケーションでは神経を使うしかない。

はっきり言って疲れた。やはりコミュニケーションにおいてことばの占める役割は大きい。

日本人旅行者の多い所はなるべく避けた。
リュックをかついだ外国人旅行者を見つけては手当たり次第に声をかけた。コツがある。

時計をはずしておいて時間を聞くふりをして話しかけるのだ。時間を聞いたら簡単に自己紹介し、これまでたどった旅程、今後の予定を話す。相手もそれに応え、情報交換が成立する。話が難しくなってきたら、理由をつけて「さようなら」を言う。次の相手を求めてまた歩く。同じことを繰り返していくうちに少しずつ流暢に話せるようになった。

10usefultexture金のない旅行は多くの情報を必要とする。ヒッチハイクのしやすい場所、大学の安い学生食堂、ユースホステルの所在地、おもしろいルート、アルバイトに関する情報など。すべて自分から積極的に話しかけない限り誰も教えてくれない。金がないから電車やバスを使えない。こうした情報には外国人旅行者のほうが詳しい。それこそサバイバルのための情報収集活動をした。

なかには旅行者を食い物にしようと親切心を装って近づいてくる者もいる。また野宿をするときは野生の動物よりも人間の方が要注意である。野宿をしながらヒッチハイクの旅を続けていくうちに、徐々に野生的な「勘」のようなものが身についてくるのが実感できた。

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